a day in the life

修行から楽行へ

瞑想生活1

ゆったりとした休日…

そういやミャンマーに滞在50日間は、こういう感じのゆったりとした時のなかで生活してた。

朝5時から夜7時までみっちり瞑想の時間があてられ充実した日々だった。

2500年経っても、当時のお釈迦様の生活スタイルが継続している、現代でそれで生活できる現地の僧侶達、それらを支える在家の人たちの関係性に感銘を受けた。

帰国後、日本で僧侶になりたい?

というか、いきなりミャンマーで出家したので、母国での坊さん達の生活がしてみたいと飛び込んだのが、日本でも有数の禅宗の修行寺に短期参禅者として入門させていただいた。

外国人の住職という事で、参禅者も海外から来る人が多かった。

ここは早朝2時間の坐禅、日中は作務と称した強制労働www

夕食後は2時間の坐禅

とにかくクタクタになった。

同じ仏教だが、所変われば…

 

日本人?は根性論が好きなのか(嫌いではないが)、どうして体育会系になってしまうのか、生活すべてに速さを求められ、最初は息が詰まりそうだったwww

思考が入る隙を与えない為に、なんでも手早くする…

わからないでもない…

が…

ただ早ければいい訳ではなく、その時に湧き上がる感情を見つめる(気づく)事が大切。スピードを競う修行になってしまい、自身の気づきではなく、相手に対しての気づきが先にきてしまう。

あいつは遅い、あいつは覚えが悪い、なんだかんだ…

 

あれ???仏教修行に来たのだけれど…

なんて事もあったなwww

なにはともあれ、いい経験をさせていただいた。

ぐ~っと俯瞰してみると坐禅でも瞑想でも、「そのものに成りきる」という事が大事と思う。

まずはそこからスタートしないと始まらないし、続ける事は困難。

お寺生活から、山修行wwwに切り替え日々の生活を瞑想に繋げる事に愉しみに感じている今日この頃(いまさらw)

このチェンソーの刃を削る作業も地味ですが、充分に瞑想状態になるね…

指、腕、姿勢、刃をしっかり手で固定してないと、とんでもない角度で削れてしまい使いものにならなくなる。

次第に指自体がヤスリと一体し、呼吸と腕の動きでみるみる刃がピンピンに尖ってくる。と同時に削れる音が「ガリガリ」から「シュッシュッ」と変わる。

ミャンマーで教わった、瞑想のメソッド(アナパナ)とそっくり。

一点集中から無限に広がる集中に変化する瞬間が好きだ…

 

あ~変態だなオレ…

 

…しょうがい、好きだから瞑想が。

 

という事で瞑想でスッキリ、サッパリした所で、昼ごはん作って食べましょうかね~

…う~ん、何作ろうか、収穫した玉ねぎで…

 

本日もゆるりとなんくるなるさ~。