a day in the life

修行から楽行へ

瞑想生活4

日曜出勤して、晩飯の買い物を終えて、車から荷物を降ろすのに中腰になって…

あれ?ありゃ?

痛い…腰が伸びんし…

膝の故障は長年付き合ってきているが、腰は初めて。

その日は布団に寝れず(起き上がれないので)椅子に座って過ごした。

さすがに仕事は休んで、安静にしていた。

ここまで痛いと、瞑想どころではない…

痛みを和らげる為に、丹田呼吸をしていたら、だいぶ楽になった。

 

自分の心と体の硬さに気づく。

 

ギュッと絞られたタオルみたいな状態を無理に伸ばそうとすると、「ブチっ」といってしまいそう。

長~く息を吐きながら、ユラユラプルプルさせるのが功を奏したのか、3日目には、かなり楽になっている。

仕事に出ようと思ったが、ゆるむ感覚をじっくりと味わってみようと、今日まで休みをもらった。

先月、約1か月間の研修期間を終え、林業という不思議な世界にいささか違和感を感じていた矢先の九州の豪雨の災害。

自然災害(台風)は仕方ない…

しかし、あの流木での2次災害は人災と思う。

 

今ある山の木々は、ほぼ人工林、林業が盛んだった時代に植えつけをした木がほとんど…

40年経ち、今、収穫(伐採)の時期に来ているという。

とはいっても、林業の担い手は激減してしまい、木材価格も底値…

林業事業体はやればやるほど赤字、国の補助金に頼らざるをえない。

九州のあの地域は林業が盛んだったようだが、土地に合わない植林をしていたのではないか?

どこの山も手入れが間に合わない状況だ。

金になる時に、一気に伐採、なくなりゃ一気に植林。

その間、森に棲む生物達は人間に追いやられ、それではいかん!と196年代に国?が出した鳥獣保護案によって、狩猟人口も減った事により、野生動物は激増。

鳥獣から今は害獣扱いwww

 

時代の流れもあるけど、本当に人間は勝手な生き物だなと感じる。

という事で、いまいるスタンスで自分が何ができるのか、何をしていったらいいのか考えている…

大きな事言えないけど。

 

まずは仕事をしっかり覚えるの先だけどね…

 

今日は休みなので、災害で亡くなられた方々のご冥福と早期の復興をお祈りしながら瞑想しようと思う。

苦しみと恐怖が少しでも和ぎますように。

生きとし生けるもの全てが幸せでありますように。

目に見えるもの見えないもの全てが幸せでありますように。

 

合掌。

 

 

瞑想生活3 

連休を利用して1日瞑想をした。

食事は黒砂糖入りコーヒーのみ、飲む回数に制限はなし。アルコールなし。

1柱(45分)の瞑想をひたすら繰り返す。

途中膝のご機嫌が悪くw…

座るより立った方がいいと思い、立禅の姿勢をとった。

イメージ写真よりはずっと楽な姿勢で構えたが、ヒラメ筋には、無理のない程度にテンションをかける様に心がけた。

座ると立つを組み合わせて瞑想する事が以外に相性がよく感じられた。

 

この立禅は武術的修行として行われている事が多く、下半身強化の意味あいが深いようだが、久しぶりに人体実験してみて、単なる筋トレではなく、気功的要素が非常に強いと実感した。

気功とは何も怪しい世界ではなく、全心身の血流を良くする事で血管(毛細)と流れる血液と間に発生するバイブレーション(波動)が「気」だと認識している。

 

瞑想も気功も見た目は違えど、目的は一緒なのだ。

動と静…

相性がいいわけだ。

 

その日の睡眠は、結構深い感じになった。

いつも夜中に目が覚めると(アルコールを摂取すると)なかなか寝付けなくなっていたが、瞑想に時間を掛けた日の睡眠はいつも深くなる。

そもそも、瞑想自体がリラックスなんだけど、そこに至るまでは、そうとう集中する。

それを1日中繰り返すので疲れるが、一般的な疲労困憊状態ではない。

 

身体に流れる意識のパイプの汚れを、呼吸と意識で洗い流す。

ジャバだっけ?

パイプ洗浄の…排水溝にジャバ入れて、水で一気に流し汚れを洗い流す感じ!?…

 

例えがよくないのでやめ。

でも、体を清潔にしましょう!

とよく聞くけど、「心をきれいしましょう」とは、ほとんど聞かない。

毎日顔や歯を磨くように、瞑想で心はきれいにできる。

そう思う。

そうは言っても、毎日色々あり、心はコロコロ彷徨う…

実家からの電話で、頭を抱える事も多くなってきた???

高齢である両親の介護、兄弟の病気…

生きていく上で避けようのない問題だ。

「生老病死」人生のバリューセット。こちら側からはオーダーできないけど…

 

…またつまらいことを…

 

瞑想して、ぐっすり寝て…起がけに…幕妄想(過去に囚われず、未来に怯えることもなく今を生きる。妄想を断ち切り、自分にできることに専念する。)

という言葉が入ってきた。

 

そうだね。起きてもいない事を考えても時間の無駄である。

なったらなったで考えればよい。

どんな状況でも受け止められる様に心静かに気力を高める努力はしておこう。

今できる事はそれなのだ。

 

心の周波数が「カチッ」と変わる。

周波数が変われば、見えるものが変わってくる。

折角の休日(休み多いなww)、いのちいっぱい愉しもう!!!

 

…まずはたまった洗濯からだけど~

 

 

 

 

 

 

瞑想生活2

連休を取って、久しぶりに車中泊でもしようと企てる。

そうだ!あそこに行こう!!!!!

夕方に出発したので、休憩に寄る道の駅は、ほとんど閉店…

…ま …いいか、ごはん食べてきてるし…

畑で採れたジャガイモあるし…

ここに到着したのは、午後7時位だったかな?

やっぱ腹減ったなぁ~ ジャガイモ蒸かすか!

既に、常備品のカセットコンロでジャガイモ蒸かしたら、予想以上に美味かった~

ビールで流し込み早めの就寝zzz

予定より早めに出発し、足摺岬を目指す。

なぜ足摺岬なのか…

太陽が見たかったから!それだけ!

自分の住んでいる所は、山に囲まれている事もあり、太陽を拝める時間帯が遅い?

朝日が大好きな自分としては物足りなさを感じていた。

太陽には強烈なパワーを感じている、得に朝日には。

かなり前に、地元の不思議なおっちゃんに「お前、太陽見れるか?」

と意味不明な事を突然言われた…初対面である。

両手の小指のない…このおっちゃんは、その一帯ではハンドパワーの使い手として名前の知れた人だった…

あくまでもその一帯で。

「午前中の太陽を15分凝視しなさい、太陽の輪郭がハッキリして色が変わったら合格」

ん!?なんで初対面の人に試されんといかんのかな?と思いつつも、朝練と組み合わせて、太陽瞑想と勝手に名付けてやってた。

普通に瞑想するより、体感度は格段に違う。

視覚から直接入る光が脳を刺激し、脳内ナンチャラが駆け回る感じ…

決して、浮足だった高揚感ではない、確実に地に足がついた力強さが全身を漲る。

今では、部屋の中で目を閉じて静かに呼吸していても、太陽の残像が蘇る…???

ん?太陽見すぎて、目が逝かれたか?

しかし、現在46歳のオッサンは視力1.5である…なぜか恥ずかしい…

ミャンマーで瞑想修行していた時、呼吸瞑想が極まると「ニミッタ」いわゆる光の玉(集中のしるし)が見えるとしている。

太陽瞑想のおかげか、早い段階で見えたが、あくまでも印なので…

いまとなってはどうでもいい事である。

しかし、太陽は偉大だ、包み込む暖かなエネルギーを全てに与えてくれる。

分け隔てなく包み込む大きな愛を全身で受け止める事ができた。

やはり、こういう時間もないと…給料減るけどね…

お寺って門閉めるのね…

久しぶりに参拝させて頂こうと思ったけど…

朝日拝んだからいいや!足早に退散し、早朝、自宅を目指す。

結構、走ったので(3時間近く)たまに利用する温泉へ。

折角なので更に、ゆるんでゆるんでゆるみまくろう~

あっ帰りの運転の支障のない程度に…

 

 

 

 

 

瞑想生活1

ゆったりとした休日…

そういやミャンマーに滞在50日間は、こういう感じのゆったりとした時のなかで生活してた。

朝5時から夜7時までみっちり瞑想の時間があてられ充実した日々だった。

2500年経っても、当時のお釈迦様の生活スタイルが継続している、現代でそれで生活できる現地の僧侶達、それらを支える在家の人たちの関係性に感銘を受けた。

帰国後、日本で僧侶になりたい?

というか、いきなりミャンマーで出家したので、母国での坊さん達の生活がしてみたいと飛び込んだのが、日本でも有数の禅宗の修行寺に短期参禅者として入門させていただいた。

外国人の住職という事で、参禅者も海外から来る人が多かった。

ここは早朝2時間の坐禅、日中は作務と称した強制労働www

夕食後は2時間の坐禅

とにかくクタクタになった。

同じ仏教だが、所変われば…

 

日本人?は根性論が好きなのか(嫌いではないが)、どうして体育会系になってしまうのか、生活すべてに速さを求められ、最初は息が詰まりそうだったwww

思考が入る隙を与えない為に、なんでも手早くする…

わからないでもない…

が…

ただ早ければいい訳ではなく、その時に湧き上がる感情を見つめる(気づく)事が大切。スピードを競う修行になってしまい、自身の気づきではなく、相手に対しての気づきが先にきてしまう。

あいつは遅い、あいつは覚えが悪い、なんだかんだ…

 

あれ???仏教修行に来たのだけれど…

なんて事もあったなwww

なにはともあれ、いい経験をさせていただいた。

ぐ~っと俯瞰してみると坐禅でも瞑想でも、「そのものに成りきる」という事が大事と思う。

まずはそこからスタートしないと始まらないし、続ける事は困難。

お寺生活から、山修行wwwに切り替え日々の生活を瞑想に繋げる事に愉しみに感じている今日この頃(いまさらw)

このチェンソーの刃を削る作業も地味ですが、充分に瞑想状態になるね…

指、腕、姿勢、刃をしっかり手で固定してないと、とんでもない角度で削れてしまい使いものにならなくなる。

次第に指自体がヤスリと一体し、呼吸と腕の動きでみるみる刃がピンピンに尖ってくる。と同時に削れる音が「ガリガリ」から「シュッシュッ」と変わる。

ミャンマーで教わった、瞑想のメソッド(アナパナ)とそっくり。

一点集中から無限に広がる集中に変化する瞬間が好きだ…

 

あ~変態だなオレ…

 

…しょうがい、好きだから瞑想が。

 

という事で瞑想でスッキリ、サッパリした所で、昼ごはん作って食べましょうかね~

…う~ん、何作ろうか、収穫した玉ねぎで…

 

本日もゆるりとなんくるなるさ~。

田舎生活11

日曜日という事もあり、少し南に車を走らせ、40番札所観自在寺に行ってきた。

お遍路のゴールがそこで、その後に現在の仕事と住む場所も決まったわけで…

その後の報告とお礼をしに行った。

遅っ!!!!!

不思議な縁というか…

坊主の見習いwwやめて伊勢から出た時は、ただ漠然とお遍路を巡拝しようという事だけが決まってて、軽バンに荷物詰めて、2週間かけて満願させて頂いた。

まさかその後、ここに住む事になるとは予想もしてなかったが、40過ぎたオッサンがする無謀な冒険もストップを掛けられたwww感じだ。

 

しかし、やっぱり感謝しかない…

ただ感謝しかないのだ、その気持ちで手を合わせた…

 

「ぐ~」腹へったな…

山仕事するようになって、決まった時間に腹がへる様になった…

俺のせいではありません、お大師さん…

すみませんが腹が減ったので帰ります…

近くの道の駅ではらごしらえして、100均に寄って買い物をした。

手先は細かい方ではない…

見ればわかる通りだが、数か月でも生活していけば、持ち物が増えていく…

本意ではないが、仕方ない…整理棚を買い揃えれば、結構な値段がする。

このサイズの材料なら500円程度で、キッチンを整理するレベルなら充分に使える。

 

「ふっ…  プチDIYおもろいやんけ…」

木を伐倒したり、畑を耕したり、料理してみたり、プチDIYしてみたり… 

 

田舎暮らしってどうよ?

って人から聞かれるけど…

 

「悪くないっすよ」

って答えている…今はね…

 

偉大なる存在の導きに感謝しひれ伏す…同時に周りにあるもの全てがキラキラと輝きだす、木も土の野菜も…目に映るもの全てが。

 

全部繋がっているのだ、気づかないだけで。

 

悟りとかどうでもいわけで、ふわふわした神秘体験なんて必要もない。

 

生活してりゃ色々ある、怒りや嫉妬…

だって人間だもの。

 

しかし、やっぱり最後には「感謝」。

感じて謝る…

サレンダー

そこに納まる様になってる気がするね…

だからきっと何があっても大丈夫なのだろう。

そうそう…「これでいいのだ…」

 

バカボンのようにゆっくり緩みながら、瞑想しましょうかね~

 

田舎生活10

巷田ではゴールデンウイーク…

  そんな関係ね~

くらいの静けさの中の日曜日。

ゆっくりめで起床、最近お気に入りの卵サラダ入りのホットサンドを作り、黒砂糖をたっぷり入れた甘目のコーヒーで流し込む。

車で10分はかからないが、歩いてはいけないw、距離にある〇〇レックスに買い出し。

メインは弁当の食材…

40過ぎのオッサンは、弁当男子なんす…

面倒だが、仕事で山に登るので、それなりのパワーフードが必要。

前まで冷凍食品を使っていたが、やっぱりちがうっすね…

寺修行の経験があるので、朝早いのは苦ではない、その日の朝昼分の食事を20分くらいで仕上げ、簡単な朝のお勤めをするっていうのがルーティンとなっている。

ま~どうでもいいが…

最近、実家の母親からよく電話がある。

好き放題している放蕩息子を気にしているようだ…

両親健在だが共に80歳を越える高齢者。

色々、生活面での苦労が絶えないらしい…  …だよね…

近い将来には戻ってきてほしいようだが、地元に戻って、また一から生活基盤を作っていくのは大変だ…避けて通れない、問題だが。

「生老病死」

最終ゴールである「死」を目前に控え、不安なのだろう。

俺も「死」という一応のゴールをめざして懸命に「生」する命の矛盾に疑問を持ち仏門をくぐった。

瞑想を繰り返し、何度も「死」を経験している感覚を思い出した時、どうやって生きていこうか…から、どうやって死ぬ為に生きていこうかと考えるようになった。

まだ明確に答えは出せないが…

 

生命の儚さと、生命のバトンタッチを続ける壮大な宇宙流れを感じる。

 

両親と話しできる時間はそう多くはないだろう…

電話でも、たまに帰省した時にでも、少しでもやさしくして接してあげたい。

 

でもこんな時、お釈迦様だったらどういうお話をしてくれるのかな~www

 

遅くなったが瞑想して、休日を満喫しようかね~